
「場」の「関係性」の思考
この秋、東郷市にある保科先生のアトリエに二度に渡って訪れた。最初の回は、雨の10月。秋雨が一日中降り注ぐ中で、紅葉が少し色づき始めた。東京から上田で乗り換え田中に行く予定が、駅員の言う2番を鵜呑みにして、ホームで30分待ち、反対方向に乗った。上田に戻り、さらに30分待ち、駅で1時間以上先生を待たせてしまった。
午後、アトリエに行く前に寄った際に池越しに観る「結いの高欄覧道」は、先生手作りのブロンズの高欄のブリッジ。その橋のブロンズの曲線は背景に見える浅間山連峰の曲線と同じラインを成し、この地の環境に融合し、美しき調和を実現している。
先生のアトリエに着いた。自宅アトリエは、新潟県と富山県の古い建物を移築しているもので、少し段差があり、雪国の雪に耐えるための強度が必要なため、とても立派な材木でできている。フェンスのないベランダーからは霧かかった浅間山が遠くに見え、何だかクラシック音楽を聴きながら昼寝したい衝動に駆られた。
「雨の降る家」はアトリエにお庭に立派に再現してあり、茅葺き屋根も亭自体もすべて手作り、香川県引田に建てた「雨を聞くための家」と2019年の退官記念展の東京芸術大学美術館「雨の降る家2019」や東郷市で「雨の降る家2019」を一体化したものに見えた。
晴れた際に雨の音を聞く、昔の中国の文人たちが憧れた「聴雨」。それは、中国文人情調の最高の表現にも思われてどこか懐かしい。
2回目に訪れた11月3日。前回と打って変わって秋晴れに恵まれた。松本出張の早朝に早起きして江戸時代の古い町並みを再現している温泉旅館浅間温泉の小さい路地を走って上がると、そこには立派な神社があり、枝いっぱいに実った柿オレンジと紅葉と桜の木の紅が美しい色のコントラストを成し、浅間山は薄いピンク色に染まってとても凛々しい。
朝食を済ませたら早々と東郷市に向かった。アトリエはまさに紅葉が綺麗に染まり、青空の広がる最高の1日になった。
「雨の降る家」は、畳が敷かれ、雨の音が聞こえた。茅葺き屋根を通って、もみじの葉っぱを濡らし、そこを通った雨水は二度落ちして地面に落ちた。畳の上には木漏れ日がゆらゆらと揺れ動き、光の形を作っていた。
12月2日からギャラリーで開催される個展は会場の制限でインスタレーションは展示できないが、壁にインスタレーションで形になった作品とインスタレーションのためのドローイングが展示される予定だ。
ニューヨークで経験した9.11と日本で経験した3.11。黒い雨の記録は、放射能事故により黒い雨が降っていた記憶から来ている。9.11の時、彼はニューヨークにいた。「生きている感触は、この際どい瞬間にこそ充実した生の瞬間を感じることができる」と思わせた若き日の1980年の「氷上痕跡」の作品は彼の出発点であり、ブリッジを臨むその湖が作家生命の出発点であり、今もこの近辺で暮らしている。
同じ頃、1980年代「高山登、川俣正、保科豊己三人展」を皮切りに「第12回パリビエンナーレ(パリ私立近代美術館)に参加、その後も活動の場をギリシャ、スイス、フランス、アメリカ、中国へと広げて行った。ポストモノ派という呼ばれる彼らの活動はその後どういう過程を経たか研究したい分野でもある。
母校の東京芸術大学では25年教鞭を取り、今は名誉教授を努めている。今回は、アトリエ近辺のインスタレーションをドキュメンタリー画像として撮り、お台場の画廊の個展も網羅した先生の作品に対する考察にあてる。
ドローンを携えた天上からの俯瞰映像は来春桜が美しいシーズンにすると約束し、この前の撮影は終了した。(1回目)
描かれたインスタレーションとは、いい言葉だと思った。